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takekoyama official blog

Blog de Column

『 Blog de Column Vol 16・Coaching 』

Coaching.
この言葉、米国が大好きだった自分にはブランドである『COACH』財布を愛用していた。でも今のデザインに変わってからは一切使わない。水牛の革の小銭入れや財布は、野球をやっていたタケには本物の、使いこなせば、使いこなすほど、手に馴染み、自分の脂が皮をなめすように色が変色してくる感じがたまらなかった。ある意味、このブランドのバッグなどはシンプルかつ、ブランド名が表に出ないそのデザインを自ら変化を求める事を目的(Coach)としている消費者の心理をうまく掴んでいたのかもしれない。

『Coach,Coaching』という言葉を、最近日本では良く耳にする。少年野球時代は、監督がいてコーチがいたが、そのコーチとは、”ノックをする人”としか覚えがない。ゴルフを初めても同じで師匠はいてもコーチはいなかった。しかし米国へ渡米し、1年目に自分のスイングに疑問を覚える。日本に比べコースが長く、グリーンがかたく、ボールがグリーン上に収まってくれないのだ。それまではスライス、フェードのみ。これでは飛距離もボールの高さも求められない。そこで決断したのが米国でのコーチ選びだった。その時の自分の目的はフェードからドローボールにディレクションを180度変える事だった。スライス&フェードならランチ(ボールの打ち出し)は低くなる。それを高く、回転を逆にするとなれば、大仕事になる事は間違いなかった。ミニツアー仲間に相談。生徒にドローヒッターが多い先生は誰かと尋ね歩いた。その結果、今もなお、自分のスイングコーチとなっている、Rina Ritson に出会える事が出来たのだ。コーチとの最初のレッスンはディスカッションから始まり、どうやって最終目標まで辿り着くか?お互いに意見をぶつけあいながら進んだ。

その時には『Coaching』の意味もわからず使っていたが形として、その状態になっていた、自分は非常にラッキーだったと言えるのだ。しかし最近は言葉の意味を知る若いプレーヤー&選手は多い。『Coach,Coaching』は、馬車の意味であり、コーチクラスの意味でもあり、自分をその目的地へ運んでくれる人という意味で使われている事を知っているのだ。

そこで今回の球界(デーブ大久保氏)、ボクシング界(亀田史郎氏)ので事件である。悲しい事に、選手はドラフトにかけられ、自分のプレーする球団が決定する。入団後、自分の意思にかかわらずコーチが決まる。そこまではシステム上の問題なので仕方がいないが、そのコーチが選手の行き先を決めてしまうのである。それがこの国に残る、縦社会のコーチングなのである。プラス、体罰である。更に親がコーチの場合も存在する。子離れ出来ない状況である。世界No-1のタイガーでさえ父親のアール・ウッズからお互いに離れ、新しいコーチの下、練習に励んだ。ミケルソンも然りである。コーチを選ぶ権利のない、現在のプロ野球では、監督以下のスタッフを選択する時の球団フロント陣営のコーチング能力が問われて然りなのである。現役時代有名選手だったから、何勝もしているから、日本代表だからなどと、付け加えた様な理由での選択をしていると今後も同じ様な事が発生するであろう。

悲しいかな、今回のコーチは日本プロゴルフ協会のインストラクター部の会員でもある。そんなコーチに自分の目的地への介添え人には選びたくない。それが本音であろう。しかしこれもまた、コーチに看板を提供しているプロ協会の資質の問題でもあるのだ。指導者育成に欧米との格差は広がる一方である。協会は社団法人であり、公益性を持たせる、イコール、公共の利益に資し不特定多数の対象が恩恵をこうむる事が条件である。その協会員にコーチングさせている協会も、今回の球団の様にフロントが理解出来ていないかも知れない。

『Coaching』とは、お互いに進む道を理解し合い、その目的地まで、安全且つ正確に運ぶ人でなければならない。コーチは決して選手の目的地を決定する様な、One wayでの、方法、目的、達成する為のドリルを指導する権利も存在しないのだ。現在でのコーチング論では、目的地(ファーストキャリア)へ一度運び、その後の目的地(セカンドキャリア)へのコーチングまでも研究され始めようとしている。そんな優秀なコーチに指導を受けたいものだ。

したがって私は『Coaching』出来ない。片手間に出来る仕事ではないからだ。


takekoyama wrote / 20100726 /
by takekoyama | 2010-07-26 13:51 | Column